中野のまちと刑務所 中野刑務所発祥から水と森の公園まで
明治43年に市ケ谷から中野へ移転してきた刑務所は、昭和58年まで三代73年間にわたって首都圏における矯正の役割を担ってきた。戦時中には治安維持法による政治犯・思想犯を多く収容したことでも有名である。また、豊多摩監獄は大正時代の名建築のひとつと言われた。昭和58年に廃庁したのちは解体され、赤レンガの正門のみを残し、昭和60年に区民のための「平和の森公園」として生まれ変わった。本書は昭和59年発行、中野刑務所のあゆみを概観し、中野区の自治の一端を振り返る。