ふるさと中野の民俗と行事 (中野の文化財 No.2)
江戸時代から培われた貴重な文化伝承のひとつであり、生活に欠くことのできないリズムでもあった民俗行事。中野に伝わる行事がどのように伝えられ、また変化していったかをまとめた調査を収録。
江戸時代から培われた貴重な文化伝承のひとつであり、生活に欠くことのできないリズムでもあった民俗行事。中野に伝わる行事がどのように伝えられ、また変化していったかをまとめた調査を収録。
庶民の信仰の対象として、また武蔵野の風物詩のひとつとして伝えられる中野区内の石造物は、急激な市街地の発展とともに失われつつある。本報告書は、区内二〇か所の神社の協力のもと、文化財の保護・普及のために教育委員会が行った調査したもの。鳥居、狛犬、石祠等に区分し、神社ごとに配列し収録。
板碑は供養塔の一種で、鎌倉時代はじめから作られ室町時代に流行した石碑の一種。本報告書は、記録の少ない鎌倉・室町時代の庶民の生活を示す貴重な史料を調査したもの。区内の板碑の紹介の他、区内現存板碑一覧、現存板碑拓影・実測図を収録。
哲学者・井上円了博士が明治36(1903)年から大正4(1915)年にかけてつくった哲学堂公園は、明治時代末における東洋文化の発揚と仏教の再生をうかがわせる。園内の貴重な文化財を保護するために行われた、古建築と周辺環境の調査資料を収録。常識門、髑髏庵、鬼神窟、無盡蔵、演繹観、四阿を調査対象とした。
哲学者・井上円了博士が明治36(1903)年から大正4(1915)年にかけてつくった哲学堂公園は、明治時代末における東洋文化の発揚と仏教の再生をうかがわせる。園内の貴重な文化財を保護するために行われた、主要建築物の調査資料を収録。哲理門、四聖堂、宇宙館、絶対城、六賢台、三学亭を調査対象とした。
中野区江古田3丁目にある江古田氷川神社神楽殿(舞楽殿)は弘化4(1847)年に建立されたと伝えられている。後世に民俗資産を伝えるため、中野区教育委員会が昭和59(1984)年に行った現地調査の報告を収録。
中野区内に存在する四十数箇所の寺院は、中野の歴史を知る上で欠くことのできない由来をもっている。本報告書は平成5(1993)年~6(1994)年に行われた区内寺院の仏教美術を対象に調査したもの。江戸時代までの作品、218件(436点)を調査し収録。
昭和61(1986)年から63(1988)年に実施された、中野区内に残る伝統的な技術を保存する「伝統技術調査」の記録。伝えられている時代によって、関東大震災以前から伝わる技術、戦前の宅地化の中の手仕事、戦後の都市の手仕事の三期に分類して収録。
哲学者・井上円了博士が明治36年(1903年)から大正4年(1915)にかけてつくった哲学堂公園は、明治時代末における東洋文化の発揚と仏教の再生をうかがわせる。公園の文化財的意義を把握するために行われた、井上円了の染筆による公園内の聯や扁額などの調査資料を収録。
15000年前からの中野の歴史を振り返る。埋蔵文化財や石造物、連綿と語り伝えられてきた伝承など、中野にゆかりのあるものを厳選し、時代に沿って収録。