No.85遺跡 発掘調査報告書 中野区立中野富士見中学校跡地
弥生町五丁目11番16号に所在する、中野区No.85遺跡の発掘調査報告書。本調査は、中野区立中野富士見中学校跡地施設整備に伴う埋蔵文化財の発掘調査である。No.85遺跡は縄文時代中期の遺跡として周知されているが、この調査では、縄文時代草創期、古墳時代後期、近世以降等の遺物、遺構では近世以降の溝状遺構が主体となっている。本調査は2014年6月9日から9月26日まで行われた。
弥生町五丁目11番16号に所在する、中野区No.85遺跡の発掘調査報告書。本調査は、中野区立中野富士見中学校跡地施設整備に伴う埋蔵文化財の発掘調査である。No.85遺跡は縄文時代中期の遺跡として周知されているが、この調査では、縄文時代草創期、古墳時代後期、近世以降等の遺物、遺構では近世以降の溝状遺構が主体となっている。本調査は2014年6月9日から9月26日まで行われた。
弥生町六丁目1・2番に所在する広町遺跡の発掘調査報告書。本調査は、東京都住宅供給公社による広町住宅建替え工事に伴う、埋蔵文化財記録保存を目的とした発掘調査である。本遺跡は、向田遺跡(中野区No.93)として周知されているが、遺跡が広範囲に拡がっていることや東京都住宅供給公社での広町住宅の名称があることなどから旧字名を採って「広町遺跡」とした。本調査区を含む向田遺跡・方南峰遺跡群(杉並No.60)は、旧石器時代から中・近世に及ぶ大規模な複合遺跡として一括されている。本調査は、2007年12月6日から2008年4月30日まで行われ、調査の結果、本遺跡の主たる時期は弥生時代後期で大規模集落を形成していたことが確認された。
弥生町六丁目22番地6他に所在する広町遺跡の第2次調査の発掘調査報告書。本調査は、東京都住宅供給公社による広町住宅建替え工事に伴う、埋蔵文化財記録保存を目的とした発掘調査である。本遺跡は、向田遺跡(中野区No.93)として周知されているが、遺跡が広範囲に拡がっていることや東京都住宅供給公社での広町住宅の名称があることなどから旧字名を採って「広町遺跡」とした。本調査区を含む向田遺跡・方南峰遺跡群(杉並No.60)は、旧石器時代から中・近世に及ぶ大規模な複合遺跡として一括されている。本調査は、2011年6月13日から8月17日まで行われ、調査の結果、集落の南西部に環濠が確認され、環濠集落であったことが明らかになった。
弥生町六丁目1番に所在する広町遺跡の3次調査の発掘調査報告書。本調査は中野区都市基盤部による公園築造工事に伴う、埋蔵文化財の記録保存を目的とした調査である。本遺跡は、向田遺跡(中野区No.93)として周知されているが、遺跡が広範囲に拡がっていることや東京都住宅供給公社での広町住宅の名称があることなどから旧字名を採って「広町遺跡」とした。本調査区を含む向田遺跡・方南峰遺跡群(杉並No.60)は、旧石器時代から中・近世に及ぶ大規模な複合遺跡として一括されている。本調査は、2016年9月5日から2017年1月6日まで行われ、調査の結果、環濠集落南部の様相が明らかになった。
中野区に所在する江古田遺跡2次の発掘調査報告書。本調査地点の所在地は、江古田三丁目14番。本調査は、東京警察病院と看護専門学校の建設に伴う発掘調査である。この一帯は、北側に蛇行する妙正寺川を控えた、標高30m前後の台地で通称寺山台地と呼ばれている。古くから縄文土器が採集される場所として知られている。本調査は、2003年11月13日から2004年3月31日まで行われ、中世の段切り状遺構によってつくられた平坦地内に存在する堀立柱建物跡、地下式坑、炭化物の充填された方形土坑が調査された。